とある公務員の休職日記


 

うつ病発症と療養

私のうつに至る症状はまずこんな感じだった。

1.不眠、浅眠、寝不足
2.不安感、動悸
3.恐怖心、被害妄想
4.意欲低下
5.年休、病休を頻繁に取る
6.付き合いが面倒になる。職員との会話をしなくなる。すべての懇親会を欠席(他人に興味がなくなる)

特に被害妄想が強く、自分が陰口を言われている、コソコソ話のネタは私だ、などかなり自分を追いつめる。

うつ発症時の自分の思い
1人職種なので仕事は遅滞なく処理していたが、病休、年休が多くなり職場の私に対する風当たりは悪くなっていると私自身実感はしていた。しかしそれ以上にAとNの行動が気になりすぎ、ひどい被害妄想になった。この時、「すべてを捨ててもう休みたい」、「眠れない、疲れる」の感情が支配的になった。さらに欠勤の電話連絡を朝することに対して上司と軋轢が生じる。心身が不調の中、上司は毎回平均30分間ネチネチ内容の同じことを言い続けた。総じて私の体調について私や妻が不調を訴えても信じることはなかった。この電話のやりとり以来、電話での依頼や自分のことを主張することが苦手になってしまった。いまでも欠席の連絡をするときは電話をかけるまで10分くらいかかってしまう。
以上経過をたどり、この後、1回目の休職をする。

【休職中の心身状態】
 基本的には自宅療養していた。2週間〜1カ月に1度の通院だったが、休職中は肩の荷が下り、面倒な人間関係から解放され、自分らしさを久しぶりに家族に出すことができた。職場の事は一切考えず、ある意味「悠々自適」だった。勉強する意欲も湧いて、自分の好きな事をして「年金アドバイザー3級」の資格を習得した。

 そういう毎日を過ごしつつ、当時M心療内科に通院していたが、休職から半年たって、主治医が「リワークに行ってみないか」と私に勧めた。そこでG病院のリワークを見学したが、帰宅後気分のひどい落ち込みを発症し、G病院のリワーク参加は断った。原因はプログラム中からの突然の参加で、知らない人々の中に飛び入りで入り、スタッフから紹介、あいさつの機会を与えられなかったことで他人の目が非常に気になり、自分のことをどう思っているかで一杯となり極度の疲労困憊となった。私からあいさつを申し出ればよかったのだが発言する勇気が出なかった。

この極度の疲労・・・・想いおこせば、初めの「紹介〜あいさつ」のプロセスの欠如は職場の引継ぎの時のそれと重なるところがあることに気づいた。あいさつ・紹介の欠如がAとNの私への批判の原因の一部だと自分の脳裏にあったため、フラッシュバックというかトラウマがG病院で蘇ったかたちになってしまった。
それ以来、気分の落ち込みはしばらく続いて、何もしたくない日が1カ月ほどたっていた。


【1度目の職場復帰訓練から復職】
 今を思えば、職場の休職をした原因が解決せず、自身も気分の上がり下がりが激しく心身が回復していない状態での職場復帰だった。復帰訓練は体調不良で80%以上の出席はできず、その後の健康判定審査会でもすんなりと復職可のお墨付きは産業医からもらえず、かなりの審議時間を経て復職が認められた。審議の内容はわからない。


【復職年度のエピソード】
 4月から復職して、気分の落ち込みが断続的にあり、そのたびごとに職場に来い、行けないのやりとりで上司と再びいざこざが多くなった。結果的に体調は回復していなかった。休職に至った原因も除去されていないなかでの復職は長くは続かなかった。欠勤が多くなると、意欲がなくなり、ためいきが多くなり、身の回りがだらしなくなった。しかし与えられた仕事は休みながらでも遅滞なくこなした。休むことをNやAがおひれをつけて悪く言っていることを別の職員から聞いた。被害妄想がひどくなり、6月頃、再び休みたいと思うようになった。
この年度、異動してきた女性職員が労組をやめると言いだしてからNやAが女性職員を責めるようになった。職場環境は嫌味とコソコソ話と些細なことでの怒号で最悪だった。管理職は見て見ぬふりだった。私はある日Nから印刷を頼まれた。きれいに印刷をしたが、Nは些細な汚れを指摘し、すべての印刷物をやりなおせと怒鳴ってきた。汚れた枚数のみで良いではないか、すべての枚数となると紙がもったいなくはないかと私は言ったが、火に油を注ぐ結果となった。印刷の件は私が仕事ができないからと一方的に私に聴こえるようにNは他の人に小声で言いふらしていた。動悸と発汗そして早く帰りたい心境が連日続いた。私に親身になってくれる男性職員Sが職場にいなければ少しの気分転換もならなかったし、考え詰めて何をしていたかわからない。

冬期休業直後、うつで3年休職して復職したMもAとNに些細なことで文句を言われ、管理職もMを退職させる扱いをすると何故か私に発言。その矢先、2月下旬にMが退職を申し出てきた。完全なパワハラだが私は前述のとおり、精神的に辛い状況が続いていたので、Mの話を聴いてあげる余裕はなくMは3/31付で退職した。職場環境は最悪だった。Mが責められているのを黙って聞くしかなく気分が悪くなる日もあった。
 

 月日は戻り、2月頃、放課後職員会議をしていた際に1人の来客が忘れ物をしたので玄関のカギを開けてくれと玄関のチャイムを押した。職場は放課後玄関施錠を徹底していた。私は職員室側のチャイムが近かったのですぐ玄関に行き来客を舎内に入れた。私は来客に付き添い氏名をたずねた。来客は用が済んで外に出て私は職員室に戻った。戻るや否やNが「来客の名前は?玄関のカギは閉めたんですか」と早口で私にたずねた。私は「来客の氏名は言ったものの、玄関のカギは自信がなかったので、「すぐ確認してきます」とNに答えた。するとNは「はっ、何をしてんだか!」とAと嘲笑した。確かにカギの確認がはっきりしなかったのは私に非があるだろうが、職員会議という職員が全員そろったなかで侮辱嘲笑されたのは就職してから初めての経験だった。屈辱だった。
 職員会議終了後同僚のKが近づいてきて「あんなひどいこと言わなきゃいいのにね・・・」と私に同情か憐みか小声で声を掛けてくれた。動悸と汗が止まらず泣きたくなった。明日から職場に行けそうもないと思うようになった。案の定、翌日気分が落ち込み、悪夢、浅眠、発熱で仕事を休んだ。妻にクリニックに連れていってもらい臨時の診察の結果、休養した方が良いと診断。2度目の休職に。

【2度目の休職〜O病院転院〜リワーク通所】
 休職して処方されていた薬パキシルが合わず、だるさがひどくなってしまったので、ついにセカンドオピニオンを考えた。健康保険組合が開設している「こころの相談室」をたずねカウンセリングを受けた。そこでO医師と出会い、顔の表情からしてうつ状態と診断され、カウンセリング1週間後O病院に転院した。
平成26年6月に転院。O医師の診察で前のクリニックの処方はすべて変更。新たな処方で徐々に体調が落ち着いてきたので、3か月後の9月19日にO医師の勧めでリワーク通所を始めた。


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